愛犬の死で自分を責め続けていませんか

犬を飼っている人にとって、愛犬の死というのは本当につらい事です。つらいことばかりで、後悔ばかりが頭に浮かんでくるかとは思うのですが、愛犬の死で自分を責め続ける事はよくない事です。愛犬は亡くなってからそのようなことを望んでいないのです。

愛犬は飼い主が後悔して苦しむことを望んでいない

愛犬は何が原因で死に至る事になったのかわかりませんが、原因は何であれ、亡くなってしまったという事は、飼い主ともう会う事もできませんし、さぞかし愛犬は寂しい思いをしているのではないかと思って悲しくなっているのではないでしょうか。

そしてもっとこんなことをしてあげられたのではないか、こんなことをしてあげればよかったと、後悔ばかりが押し寄せてくると思います。後悔し続けるとそれはだんだん苦しみに変わってきます。特に最後のときを一緒にいてあげられなかった人にとっては、後悔はさらに強くて大きな苦しみ、悲しみに変わるでしょう。

愛犬のさいごを看取れなくても

もしも愛犬のさいごを看取っていなかったとしても、愛犬は薄情な飼い主だとは決して思っていませんから安心してください。そんなことは一切考えていないはずです。むしろ犬というのは自分の最後の姿をさらさないように、姿を隠してひっそりと息を引き取るという習性もありますので、看取ってあげられなかったことを後悔したり、心に病んだりする必要はないのです。最後が看取れなかったとしてもワンちゃんはちゃんとわかっていますし、飼い主の気持ちを察しているはずなのです。だからそんなに後悔したり落ち込んだりしないでください。

愛犬との悲しい別れ、体験談

愛犬との悲しい別れというのは犬を飼っている以上誰もが経験する事です。犬を飼っていて悲しい別れを経験しないという人はほとんどいないほどです。
体験談:20年弱一緒に過ごしていた愛犬のコロが亡くなりました。本当に人懐っこい犬で、ペットショップで初めて見たとき、人懐っこくてコロコロとなついてくれることからコロと名付けたのを今でも昨日のことのように覚えています。先日老犬になったコロは星になりました。

本当につらく、悲しい経験でした。この世の中にこんなに悲しい事があるのかと思えるほど。ちょっと大げさに思えてしまうかもしれないのですが、本当に悲しかったです。もっと何かしてあげられたのではないかと正直後悔ばかりですが、最初のころは泣いてばかり過ごしていましたが、今は少し落ち着いてきて、コロとの楽しかった思い出を思い出して懐かしめるようになりました。

今でもふっと台所に立っていると足元にコロがいるような錯覚を起こすことがあります。よく台所で料理をしていたらコロがすりすりと寄ってきていたので、その光景が思い出されますし、足がその感覚を覚えていて、コロ・・・と思い出して泣きそうになる事がありますが、何とか立ち直っています。

ペットロスに陥ってしまわないために

ペットロスに陥ってしまい、日常生活に支障が出てしまっている人もいると言われています。ペットロスは少なからず誰にでも起きる事だとは思うのですが、陥ってしまわないためには、急死でない限りは、少し時間にも余裕があると思いますので、犬との時間を本当に大切にしましょう。そしてこれ以上悔いはないというくらいにワンちゃんと一緒に時間を過ごしてください。それくらいすれば、きっと最期の時を迎えたとしても、後悔は減るはずです。

ですから病気にかかった、寿命が近いなどいろいろとワンちゃんの体の変化があったときには、最後のことを覚悟しておきましょう。最期のことを覚悟して、そしてこれまで以上に接する時間を増やして愛してあげてください。あなたが後悔ないくらいに接して、もういつ亡くなっても悔いはないと思えるほどになれば、きっとペットロスに陥る事はありませんし、きっと愛犬との思い出を綺麗な思い出、楽しかった思い出にとどめる事ができるでしょう。

愛犬との時間を大切に。失ってから後悔しても遅い

愛犬との時間は永遠ではありません。そして多くの場合、愛犬の方が飼い主よりも先に天国へ行ってしまう事の方が多いでしょう。そのような時にペットロスに陥ったり、後悔して後悔してやまないといような状態になったのでは愛犬も悲しみます。愛犬も飼い主とはなれる事は一番悲しいことだと思います。飼い主が愛犬を思うように愛犬も飼い主のことを思ってくれているはずです。

そんな中で毎日後悔して悲しんでいても先に進みませんしワンちゃんも喜びません。そうならないようにするためには日ごろから愛犬との時間を大事にしてください。愛犬との時間を大事にして後悔のない時間の使い方をしてください。思う存分、これ以上後悔はしないと思えるほど犬との時間を過ごしたら、きっと何があっても受け入れる事ができますし、何があってもきっと大丈夫です。あなたの思いは愛犬にもちゃんと伝わっています。